体験的オブジェクトシアター論

― 沢則行氏インタビュー ―

※このインタビューは、『Puppet House通信』No.4(97.8.1発行)に掲載されたものです。

パペットハウスでチェコの作家たちの劇人形に出会われた方々から、「ヨーロッパの人形劇についてもっと知りたい」という声が多く寄せられています。とくに、「オブジェクトシアター」と呼ばれる新しい人形劇の流れへの関心が高いようです。そこで、今回は、チェコの首都プラハに住み、ヨーロッパを中心に活躍されている人形劇家、沢則行 (サワ ノリユキ) 氏にお話をうかがいました。

 

それは食べるために生れた

━━オブジェクトシアターとは、いったいどんな芝居なのか、なぜそのような芝居が生れたのか、誕生の背景みたいなことからお話しいただけますか……。

沢◆パペットシアターとかパペットプレイと呼ばれるのがいわゆる従来の人形劇なんです。パペット、劇人形だけで舞台をつくるというと、非常にファンタジーがあって有利なようですけど、いざ実際にやってみると、表現の上でこれほど不自由な世界はない。ものすごく制約が多いんです。だから、行き詰まる。

とくに東欧の場合は深刻だったんですよ。人形劇団の俳優というのは人形劇芸術家、ようは国家公務員ですよね。国が奨励する芸術として予算をもらって、次々と人形劇をつくらされるわけですから、およそ人間が考えつく人形を使ったファンタジーのバリエーションはほとんどみんなやりつくすわけです。そうやって人形劇がマンネリ化していったときに、なんとかこの状況を打破しなければ、芸術の一ジャンルとしての人形劇が消滅してしまう。しかも共産主義がだんだんダメになって、国の財政が落ちてきて、まもなく革命だというような時期に、もうとにかく新しいジャンルを創造しなければ自分たちが食いっぱぐれてしまうという危機感のなかで生れたのがオブジェクトシアターなんです。

━━きわめて切実なというか、現実的な理由が背景にあったわけですね。

沢◆当事者たちはそう言いますよね。それで彼らは、オブジェとか等身大の木彫りの人形とか、あるいはマスクとか、どう見てもパペットやマリオネットとは呼べないようなモノが舞台に登場する芝居をつくりはじめた。ポーランドでは1950年代にすでにそういう芝居が演じられてたみたいです。

━━「オブジェクトシアター」という言葉自体はもっと後から生れたんですか?

沢◆そうだと思いますよ。厳密に言うと、オブジェクトシアターというのは、人の形をしていない「物」を命ある「者」に見立てて演じる芝居なんです。お湯を沸かすやかんとか傘とかランプシェード、あるいはボールペンとか机とか「物」ならなんでもいいんですけど、ようはオブジェクトが登場人物になる芝居ですね。そこから、従来の人形劇の枠組みには納まりきらない新しい人形劇の流れを総称する言葉としても使われるようになった。

ただ、そういう広義の使い方では、いまは「フィギュアシアター」という言葉のほうが一般的なんです。オブジェクト(object)は物体、フィギュア(figure)は形態、形象ですから意味合いも広いし、ようするに開かれた人形劇、人間も出るし、人形も出るし、モノも出るし、仮面も出るし、どんなジャンルともクロスオーバーできる、形あるものの舞台ということで考えられたのがフィギュアシアターという呼び方なんです。

従来の人形劇の「制約」とはなにか?

━━人形だけが出てくる従来の人形劇は非常に制約が多いという話がありましたけど、その制約というのはどういうことなんでしょう?

沢◆人形は人が使わないと動かない、人が使うようにしか動けないということですよね。コレって、人形芝居の本質そのものなんですけど、人形は、ひとりでに舞台で立ち上がって歩くことは出来ないわけでしょう。もちろん、ラジコンとか特別なメカニズムを使えば、そう見せることは可能ですよ。しかし、本質的なことで言えば、たとえラジコン人形だって陰で電波を飛ばして操っている人がいる。それが人形の持っている本質的な不自由さなんです。

たとえば、舞台で人形を急に飛ばせたいというときに、非常に技術的なことで言えば、放り投げるか、糸で釣るか、誰か別の人間が持ち上げて持っていくかしかないわけですよ。とにかく人形を動かすためには、何らかの作用、人間の働きかけが必要になる。それが制約なんです。ものすごく大きな制約なんですよ。ヨーロッパに行くまで、それで僕はずっと不自由してたんです。

━━でも、吊り上げたり、放り投げたり、生身の役者じゃなかなかできないことをできるというのが、逆に人形の自由さではないんですか?

沢◆お客さんはみんな言うんですよ。「人形は人間ができないことができていいですね」って。でも、本質的には人形は人間ができることしか出来ないんです。逆に言えば、人形ができることは、ぜんぶ人間の芝居でできる、ほとんどできるハズなんです。

メソッドとしてのオブジェクトシアター

━━人間とモノがいっしょの舞台に立つオブジェクトシアターやフィギュアシアターなら、その制約が越えられるんですか?

沢◆人間と人形、あるいは人間とモノがともに舞台に現れているからオブジェクトシアターだとよく言われるんですけど、人間と人形、モノがともに舞台で演じるというのはあくまでも現象面なんですよ。オブジェクトシアターとかフィギュアシアターというのは、本来、そうした現象面というか、操作方法の一ジャンルではなくて、メソッド、作劇法の一ジャンルなんです。

━━作劇法の一ジャンル?

沢◆方法論というか、芝居のつくり方を指す言葉なんですよ。だから、ひと口にオブジェクトシアターやフィギュアシアターと言っても、アプローチの仕方は何種類もある。僕が最初に出会ったヨセフ・クロフタ(Josef Krofta.1943年生れ。チェコを代表する著名な演出家。劇団ドラックの演出監督であると同時にチェコ国立芸術アカデミーの教授でもある)のメソッドもそのひとつです。いまの「制約」との兼ね合いで言えば、人形は人間が使わなければ動かないという人形が本質的に持っている不自由さを、作品の内容にリンクさせるんです。作品のストーリーのなかでそのことをさらけ出す。それが彼のメソッドなんですよ。

━━具体的な例で言うと?

沢◆たとえば、僕が参加した『バベルタワー』(フランス国立高等人形劇芸術学院とチェコ国立芸術アカデミー演劇人形劇学部との共同制作による上演を前提としたワークショップ)では、30人近い出演者がいるんだけれども、みんな最後まで、ときどき声だけが聞こえてくる赤ん坊を探してるんです。で、ラストシーンで赤ん坊の入ったダンボール箱が川からドンブラコドンブラコと流れてくるのを母親がすくい上げる。「赤ん坊が見つかった」と登場人物みんなで喜んで、ある者はダンボールの裏側から手を入れて、いかにも赤ん坊が喜んで振っているようにガラガラを振ったり、べつの役者はアイルランドあたりの角笛をプップップッと鳴らして赤ん坊の泣き声を響かせる。でも、ダンボールのなかに赤ん坊なんて入ってないというのは、お客さんはみんな知ってるわけですよ。それが人形劇じゃないですか。

━━人形芝居を観る上での約束ごとというか前提というか……。

沢◆ええ。人が隠れて操っているんだけれども、お客さんは人形だけを観ることにするという約束ごとがあるわけですよ。で、その芝居では、赤ん坊が見つかったと喜んでいた母親が、突然、キッとまじめな顔になって、お客さんのほうに向かってダンボールを逆さまにするんです。ガラガラとか角笛とか中に入っていたものがドサッと舞台に落ちて幕が下りる。芝居のテーマとしては、ようするに赤ん坊というのは未来を象徴していて希望である、と。で、希望は、「お客さん、あなたたちのほうにあるんですよ」ということを、空っぽのダンボールを見せることで言いたいわけです。それはストーリーを追っていくとそういうふうに感じることができるようにつくられてるんですね。だけど、そこで同時にアプローチしてるのは、「こんなダンボールのなかに赤ん坊なんて入ってるわけないじゃない。オレたちが人形遣いだからうまく演じてるんだよ」というのをさらけ出すことなんです。当然、お客さんは騙されたような感じがするわけですよ。すごく裏切られた様な感じが一瞬するんです。「せっかく気を使って、うまいなぁと思って見てたのに楽屋落ちだな」って。でも、それがヨセフ・クロフタのメソッドなんです。

人形が出る必然性とは何か?

━━人形劇が持っている「制約」自体をお客さんに見せてしまう、さらしてしまうということこそが、その制約から解き放たれるひとつの方法なんだ、ということですね。

沢◆そうです。それと、人形は人間が操らなければ動かないという制約自体を見せてしまうということは、同時に、人形劇だから舞台に人形やモノが出てくるのは当たり前だという、従来の人形劇の大前提には立てないということでもあるんです。

一カ月のワークショップの期間中、クロフタ氏が最初から最後まで言い続けるのは、人形をいかにうまく使うか、いかに人間らしく動かすか、あるいは信じられないようなファンタジーをお客さんに感じさせることができるかどうかは問題じゃない、自分は興味がない。なぜこの芝居に人形が必要なのかを考えながらやってくれ、と。それは第一日目から最後の30日目まで、毎日、口がすっぱくなるほど言われるわけです。で、もしあなたが、この芝居に人形を使う必要がないと思ったら、人形を使うな、と。クロフタ・メソッドでは、人形が出てくる必然性が最大の問題なんです。そこには閉じたファンタジーワールドとしての人形劇の美しさとか幻想はないんですよ。「よく動いて不思議なだけだったら人形なんかシットだ。そんなことやってるから俺たちは食い詰めたんだ!」。そう彼は言うわけです。

━━その場合、人形が出てくる「必然性」というのは、どういうことなんですか? 人形劇だから、フィギュアシアターだから、舞台で人形を遣う、モノを遣うという大前提に立たないというのは、どういう意味なんでしょう?

沢◆それは、誰がつくった前提なのかということなんですよ。その大前提を観客に認めさせたのかどうかなんです。「人形劇です」と言ってキップを売って、人形が出てくるのは当たり前なんですけど、それじゃ食い詰めたわけですよ。ようは、お客さんが納得してるかどうかということですよね。

それからもうひとつ。人形が出る必然性というのは、裏を返せば、舞台に人間が出る必然性でもあるんです。これは、日本での話ですけど、僕も以前からアンサンブルを率いて出遣いで演じてたんです。例えば、大きな舞台を階段状につくってダイナミックに動こうと思うと、黒子が出遣いの大きな人形を持って走り回るのがいちばんなんですね。だけど、黒子はやっぱり目立つ。まあ、約束ごととして見逃してくれるお客さんはいいですけど、人形劇を見慣れてないお客さん、とくに子どもなんかは、「アッ、人が出てる!」とか言うわけですよ。しょうがないから、舞台のデザインに合わせて、黒子の衣装をデザインして黒子じゃなくて「緑子」にしたり、面包(メンポウ。顔を隠す被りもの)もデザイン化して、人形に似せたものを着せたりとか、まあいろいろやるわけですよ。

でもね、観劇後のアンケートに「人形を使っている人の衣装がよかったです」とか書かれると、いや、困ったなぁ、それは嬉しいんだけど、最初の出発点はそうじゃないはずだったんだよな、という感じがするわけです。いまだったら、僕は、人形の遣い手が出ることに何らかの意味を持たせますよね。それ以外は遣い手を出しません。

━━その場合の、遣い手が出ることに意味を持たせるというのは?

沢◆たとえば、一体の人形を遣いながら、遣い手が別のキャラクターをあらわす場合ですね。つまり人形対人間(遣い手)の絡みがある場合。遣い手でありながら人形に裏切られるシーンがあるとか、逆に人形と人形遣いが愛し合ってしまうシーンがあるとか。ものすごく大きな人形であれば、人形が支配者で人形遣いは奴隷であるという関係だったり、逆に人間が大きくて人形が小さければ、蹴っ飛ばされたり操られたりする。あるときは偶像になったり、奴隷になったり、恋人になったり、友人になったり、敵どうしになったり……。

━━ようは、人形には人形独自のキャラクターを持たせて、遣い手というか役者には役者独自のキャラクターを与える。そのうえで相互に関係させるということですか?

沢◆ええ。人形にしろ人間にしろ、舞台に何かを登場させるときには、かならず芝居の内容の一部として、作品の内容にリンクさせてその存在を使うわけです。人形と人間との関係のバリエーションはいろいろ考えられますよね。というか、舞台のうえで人形やモノと人間との新しい関係を発見し続けることこそが、彼らの芝居づくりなんです。

ロックはクラシックを否定しない

━━いわゆる古典的というか、従来のスタイルの人形劇、たとえば、人形遣いが完全に舞台の下に隠れて手使いの人形を操るというスタイルの人形芝居をつくるとしますよね。その場合でも、人形が出てくる必然性は問われるわけですか?

沢◆それは難しいですね。ただ、僕が経験したメソッドでは、そういう芝居はつくらないんですよ。現にいまあるものに対して批判を加えるということはしないんです。それはもうあるんだから、それはそれでいい、と。ただ、われわれはそれはしない。ようは、従来と同じ人形劇をつくっていても食べていけないということですよね。

━━日本的な出遣いにしても、西欧や東欧の棒遣いやマリオネットにしても、操り手が舞台に登場することはよくあるわけですよね。その場合にも、なぜ操り手が舞台にいるのかという必然性はやはり問わない?

沢◆批判はしないんです、そのこと自体は。ただ、いちどクロフタのメソッドを体験するとすごく気になるんですよ。どういう押さえなんだろう? 押さえはないのかなって。

━━「押さえ」というのは?

沢◆芝居を観てるときに、この演出家は、出遣いで遣い手が人形とともに観客に見えることについて、どう思っているんだろうという疑問が浮かぶわけですよ。正直、批判は感じないんです。それはもうずっーとそういうふうにあるわけですから。ただ、一度、クロフタ・メソッドの洗礼を受けて、そのメソッドのもとで何カ月も実際に舞台に立ったものとしては気になるんですね。芝居をつくりはじめる前から、出遣いだから遣い手が出るのは当たり前だという割り切りを無意識のうちに持ってしまっているのかな、と。まあ、それはそういうことかぁと思うだけなんですけど……。

━━僕自身も、出遣いスタイルの人形劇、とくに棒遣いの人形を使う芝居には違和感を覚えることがあるんですね。見慣れてないからなのかもしれませんけど、人形の顔の横で人形遣いがセリフを喋って人形を動かしてる舞台というのは、いったい人形を見ればいいのか、人間を見ればいいのか、どうも戸惑ってしまう。あえて極端な言い方をすれば、人形を使わなくたって役者が自分で演じてセリフも喋ればいいじゃないか、と。

沢◆そうですね。それはまさに必然性ということと関わるわけですけど、ただ、それは芝居自体の完成度の問題もあるし、そもそも違うジャンルとして楽しめばいいことだと思うんです。ヨーロッパでも、クロフタみたいに、舞台に出てくる遣い手に作品とリンクした存在の必然性を求めるというのは、むしろ少数派なんですよ。音楽の話で言えば、ロックにはロックの、ジャズにはジャズの、クラシックにはクラシックの良さがあるわけですよね。それをロックはダメでクラシックだけが音楽だと言っても意味がないのと同じように、後から出てきたロックがクラシックを否定することにも意味はないですよね。だから、批判はしないんです。

メソッドの多様性

━━クロフタ氏の作劇法、メソッドについて話を伺ってきて、メソッド自体がなぜ問題にされるのか、僕自身まだいまひとつピンと来ないんですが……。

沢◆日本だとメソッドってべつに意識する必要ないんですよ。脚本家が書いた脚本があって、演出家がそれを読み込んで、配役して、読み合わせがあって、舞台美術の発注をして、できてきた人形をもって練習して、音楽をつけて、小屋に入る寸前に照明のデザインをして、本番に突入する。極端なこと言えば、その一種類しか作劇法はないんです。

ところが、クロフタ・メソッドだと、たとえば、脚本もない、役者も決まってない、人形もない状態で、照明だけで舞台づくりをはじめるんです。最初の2週間は舞台に照明家と演出家だけ。ストーリーのアイデアだけ演出家の頭の中にあって、色のイメージからはじめるんです。この色とこの色とこの色を使おう、と。

で、つぎにこんな道具が欲しいということで、美術監督が本格的なデザインをはじめる。まだ役者も決まってないし、台本もない状態で、工房が人形や道具をつくりはじめるわけです。で、道具ができて、人形ができて、演出家はまた照明と打合せをする。それから役者が決まって、人形を持って、役者のイマジネーションと演出家のイメージで舞台をつくりはじめる。で、最後にようやく脚本を書きはじめるんです。

━━その場合、演出家の頭にあるストーリーというのは、かなりハッキリしたものなんですか?

沢◆それは、ケースバイケースですけど、まあ、粗筋ぐらいは持ってますね。

━━粗筋というのは、たとえば、チェコの伝説であったり、古典文学であったり……。いわゆる物語りとしてのストーリーということですか?

沢◆そうです。ただ、なかにはその程度のストーリーすらない場合もあるんですよ。役者や美術家や照明家が自分のセンスやイマジネーションで、どんどん無から有を即興で生み出していって、たくさんの逸話や人形や照明の色を削ぎ落としていくわけです。出しちゃ捨て、出しちゃ捨てしながら創っていく。だから、脚本の読み合わせとかってないんですよ。でも、それもたくさんあるメソッドのうちのひとつなんです。

━━ほかには、どんなメソッドがあるんですか?

沢◆あと例えば、フランスの“テアトル・ド・オブジェクト・チューラック”。この劇団はモノからはじめるんですね。たとえば、アイロンとか椅子とかそういうモノがあって、それと役者がずっーと何日間もかけて取り組みながら、誰も想像しなかったようなモノの動きとか演技をつくっていく。そこからストーリーができてくるんです。劇団によっては、音楽を先につくってからはじめるところもあるし、いろいろなんですよ。固まったメソッドはないというか、むしろある固まりかけている観念、作劇法を壊していく動きが特徴だと言ったほうがいいかもしれませんね。

国立芸術アカデミー人形劇学部

━━お話を伺っていると、演出家はもちろん、美術家や役者のレベルがそうとう高くないと、そんな芝居のつくり方は出来ないんじゃないかという気がするんですが、そのへんはどうなんでしょう?

沢◆それはそうなんですね。もちろん個人差もあるんですけど、ヨーロッパに共通して全体的なレベルの高さというのは、やっぱりありますよね。たとえば、チェコだったら“国立芸術アカデミー”、日本で言えば東京芸大に当たる国立大学に「演劇・人形劇学部」(DAMU)というのがあるわけです。同じ大学に「演劇学部」もありますから、「演劇・人形劇学部」は、まさに人形劇を勉強する学部なんです。学科の分け方もかなり細かくて、演技とプロデュースの学科がそれぞれ4年制、演出、脚本、舞台美術がそれぞれ5年制です。

━━人形劇学部って、日本的な感覚だとちょっとイメージが湧かないんですが、いったいどんなことを勉強してるんですか?

沢●人形劇を中心に演劇全般ですよね。役者の学科だったら、古典人形劇の歴史やその中身も学ぶし、もちろんシェイクスピアやゲーテも学べば、有名な演出家のメソッドも学ぶ。僕は、海外からの研修生として1年半ほど舞台美術科にいましたけど、舞台美術を中心に美術一般、基礎から専門技術までいろいろやるわけです。基礎的なことでいえば、デッサン、彫塑、彫刻、油絵の授業。舞台美術に絞れば、舞台の図面を書くためのパースの講座があり、チェコの伝統的なマリオネット製作の講座があり、それからあるテーマを与えられて自分なりのデザイン・コンセプト、人形舞台美術のコンセプトを出したり……。

━━学期末の試験とかって、やっぱりあるんですか?

沢◆それはありますよ。例えば、演技科の学期末の面接試験だったら、教官から「シェイクスピアの“十二夜”の第何幕、第何場の誰々のセリフを喋りなさい」とその場で言われるわけです。しかも、試験の前に「テーマはシェイクスピアだよ」とは教えられてない。「〇×世紀の古典について勉強してこい」と、それだけですからね。膨大な量のセリフが頭に入ってなければダメなんです。それから舞台美術の試験だったら、はじめて見る舞台の平面図を渡されて、「これをパースで立体図にしなさい」と。彼らは、そういう基礎訓練をきちんと積んでるわけです。まあ、優等生じゃない連中もいっぱいいますけど(笑)。

━━学部の学生は何人ぐらいいるんですか?

沢◆舞台美術科だと、一学年10人未満で5学年だから、まあ40人ぐらい。演技科も各10人ぐらいで40人。演劇・人形劇学部全体で200人ぐらいですかね。

━━その学生たちが、卒業してみんな人形劇団に入るわけですか?

沢◆それはいろいろですよ。地方の劇場とか劇団に入ったり、プラハで活躍したり、テレビの世界に行ったり、フリーの劇人形作家になったり、もちろんぜんぜん関係ない仕事をしたり……。これ余談ですけど、いま僕が一押しの若手劇団は、プラハ6区にある“デイビツケ・ディバドロ”。つい何年か前にDAMUを飛び抜けていい成績で卒業した学年があって、あまりに優秀だったためにプラハ市が新しい公立劇場をひとつ与えたという曰く付きの劇団なんです。ごく稀に、そういうこともあるわけです。

松本清張以後の人形劇!?

━━人形劇に対するそもそもの位置づけが違うなぁという感じですね。話を戻すようですけど、沢さんのお話を伺っていて、僕がちょっと気になったのは、フィギュアシアターやオブジェクトシアターということで、従来の人形劇の枠組みを壊していったときに、いわゆる人間の役者が演じる芝居と人形劇との境界線がどんどん希薄になっていくんじゃないかということなんです。そのあたりのことは、クロフタ氏とかはどう考えているんですか?

沢◆パペットシアターだろうが、ドラマシアターだろうが、とにかくシアターなんだ。「ジャンル分けからは自由でいよう」というのが基本姿勢ですね。それと『バベルタワー』のワークショップの最後に、彼は参加者全員にこんなふうに言ったんです。もとのいわゆる人形劇らしいファンタジーワールドに戻るのももちろんけっこうだ。それは構わないけれども、クロフタ・メソッドを経験する前の意識とはもう違うハズなんだ、以前のままの意識には戻れないハズだと言うんですよ。で、僕は実際、戻れなかったんです。

それは、例えて言うと、コレ、もう亡くなった横溝正史のパクリですけど、角川書店のタイアップで一大ブームになったときに、彼はこう言ったんですね。今世紀の終わりまでに日本の本格推理小説はまた大隆盛していくだろうけれども、それは江戸川乱歩のたんなる復活ではなくて、松本清張を経たものでなければならないだろう、と。実際、いまの日本はすごい推理小説ブームですけど、そのなかで、一見、江戸川乱歩のような昔ながらの作品が排出されるにしても、いちど松本清張を経由してるということなんです。

ヨーロッパでも、最近また、いわゆる人形劇らしい人形劇の芝居が増えてきていて、フェスティバルでもそうした人形劇がメインというものもあったりするわけですね。でも、そうした反動というか揺り返しも含めて、いちどフィギュアシアターの洗礼を受けた者が、また新しいスタンスで人形劇らしい人形劇に取り組んでいる。けっして昔のままの人形劇じゃない。フィギュアシアターやオブジェクトシアターには、小さなファンタジーワールドに閉じ込められていた人形劇家たちを解き放ったという意味があって、僕らは、一回、頭を洗われているんですよ。

日本人のオリジナリティ

━━クロフタ・メソッドの洗礼を受けた沢さん自身が、この先、どんな芝居をつくろうとしているのか、とても興味があるんですが……。

沢◆海外に住みながら仕事をしていて思うのは、自分のナショナリティなんです。現地の人と意見が合わないとか、手続きがうまくいかないとか、必要もないのに「アイムソーリー」と言っちゃうとか。いい面、悪い面、それは毎日、20回、30回と感じるんですよ。それから、自分の日本人としてのセンス。それは舞台に立つたびに、毎回、問われていることなんですね。観客は、日本人である僕に対して、日本人のオリジナリティを要求するわけですよ。べつに芸者、富士山、着物じゃなくても、お前のナショナリティのユニークな部分はなんなんだ? それを見せろ、と。「日本人がやるヨーロッパの芝居なんて見たくないよ、オレたちは」って、彼らはそう言うわけですよ。

で、僕自身の芝居へのアプローチは、舞踊でもなければ、謡でもなくて、むしろ工芸とか美術からなんです。亡くなった母は和服をずっと仕立ててましたから、僕は、幼いときから、和服地と裁縫道具に囲まれて育ってるんですね。その影響ってものすごく強いんですよ。だから、服地とか色とか、人形に関しても、ビジュアルな色のイメージは、完全に日本なんです。

━━沢さんのなかにあるその「日本」を舞台で表現していくということですね。

沢◆ヨーロッパに住んで、上演活動で食べるためには日本を出すしかないんですね。もちろん出し方はいろいろですよ。ただ、僕には美術というスタンスしかない。日本の大学でも美術を学んだし、その分野なら、日本のいろとか日本のかたちが分かるから、それを出していく。出すことにためらいはないし、僕自身も楽しいんです。

━━その民族的なオリジナリティを要求されるというのは、沢さんが日本人だからというか、ヨーロッパの人のオリエンタリズムからくる要求なんですか?

沢◆そういう面もないとは言えないでしょうけど、民族のオリジナリティを求めるという意味では、ヨーロッパの人どうしでもそれは同じですよ。むしろ民族意識が強いからこそ、国もあれだけ細かく分かれてるわけでしょう。道はそのまま続いているのに国境を越えると使ってる言葉はもう違う。僕みたいな第三者から見ると同じ文化にしか見えないような場合でも、彼らは違うと言うわけですよ。

━━かえって意識せざるを得ないわけですね。

沢◆ええ。僕らが、チェコ人の言葉を聞いて、うかつに「ロシア語とドイツ語の中間ぐらいの言葉ですね」というと、「ぜったい違う!」って怒りますよ。それは、彼らが民族としてのオリジナリティに誇りを持っているからなんです。だから、同じように日本人に対しても日本人のオリジナリティ、ナショナリティを要求するんだと思いますけど。

━━なるほど。反対にいまの日本では、観客の多くが「日本」を強く出すことを求めているとも思えないし、日本を前面に出した芝居づくりで食べていくというのは、難しいかもしれませんね。

沢◆そうかもしれないですね。僕もプラハに住んで芝居づくりをしてるから日本を強く意識しているんで、日本にいたらどうなるか分からないですしね。ただ、いろんな国で上演をしてプラハで芝居をつくるというのは、いまの僕にとってはわりといいコンディションなんですよ。だから、この先、とにかくきちんと作品をつくるというか、本当につくりたい芝居をつくっていきたいと思ってるんです。

━━芝居の中身とかメソッドについては、どんなことを意識しているんですか?

沢◆僕自身の作品は、クロフタとかドラックのメソッドからは離れてるんですね。まだまだ自分のメソッドを模索してる最中ですけど、人形とかつくられたモノの魅力を最大限に引き出しつつ、でもチェコで学んだ作劇法は踏まえているという、なんだかよく分からない方向に行きつつあるんですよ(笑)。

━━まさに松本清張以降ですね(笑)。

沢◆イメージとしては、このジャンルをもっとビジュアルなものにというか、もっと美術的にしたいんです。

━━美術的というのは?

沢◆つまり美術の劇、人形自体も美術作品なんだけど……、うーん、「美術」という言葉は日本語ではちょっと弱い気がしますよね。ようはアートによって演じられたり表現されたりする舞台。結局、普通の人間の芝居と人形劇と呼ばれるものが決定的に違うのは、人形劇はビジュアルにつくられたというか、アーティフィシャルなものなんですよ。

━━その場合のアーティフィシャルというのは、「人工的な」という意味ですね。

沢◆そうです。人工的につくられたものが主役を務めるというか、重点を占める表現なんですね。そういう意味で美術とか造形の劇、ビジュアルな表現によって構成される舞台ということなんですけど、いまひとついい言葉が見つからないんですよ。誰か思いついてくれると嬉しいんだけど……。(完)
(text by 深沢 拓朗)

 
※沢則行氏は1961年、北海道生れ。人形劇団ひとみ座を経て、札幌で人形芝居プロジェクト・ライオンを旗揚げ。91年、人形劇の国際ワークショップ『バベルタワー』に参加すべく渡欧。92年からプラハ在住。95年、東京渋谷の青山円形劇場にて、仮面と人形を使った一人芝居『マクベス』と『ミッシング』(現『フォレスト』)を上演。97年からは、チェコ国立芸術アカデミーの講師として舞台美術とパフォーマンスを教えている。ヨーロッパを拠点に活躍する数少ない日本人人形劇家の一人である。